怪傑ハリマオの時代

人力検索はてなで、怪傑ハリマオがTV放送していたのが信じられないという趣旨の質問がでていたので、回答*1

1961年当時のテレビは社会的影響力が弱かったのが最大の理由でしょう。
他に理由として考えられるのは、以下の2点でしょう。
・製作の宣弘社はテレビ分野の広告代理店だった為、横槍が入らなかった。
・提供は森下仁丹の一社提供だった為、意思疎通が容易だった。
森下仁丹は、放送終了直後に東京、大阪で二部上場企業になっています。

テレビでのいわゆる”反米報道”に日本政府が”弾圧”を始めるのは、1965年の『南ベトナム海兵大隊戦記』以降です。

1972年のレインボーマンの『死ね死ね団の歌』なんかも、一年間毎週放送されていたのは、信じられないでしょうね。